もっと多くの場面で、もっと普段の食卓で、当たり前の風景のように日本酒を楽しんでいただきたい。
そんな想いで灘一のお酒は作られています。
お料理の相性を選ばない癖のないさっぱりとした味わい。
ほんの少しだけ、あなたの日常に灘一のお酒がある風景が増えれば幸いです。
戦前の松竹梅酒造は故井上信次郎氏によって大正初期に設立され、扱う清酒はまぼろしの銘酒とも言われていました。昭和初期には醸造石数は9,000石にも達し、質、量ともに屈指の酒造会社でした。しかし第二次大戦の戦火拡大によって企業整理が進み、さらに軍需工場となり清酒の醸造は中止に至りました。
戦後、創業者である野田博は松竹梅酒造の復活に寝食を忘れ情熱を傾けた結果、昭和25年新たに松竹梅酒造を設立、ここに「灘一」の蔵元としての松竹梅酒造株式会社が再発足しました。同時に故井上信次郎氏は弊社の最高技術顧問として後進の指導育成にあたられ、醸造秘術を技術者に伝授されました。その醸造技術は脈々と受け継がれていきました。その後、阪神淡路大震災により、酒造蔵が全壊したため、酒造業は縮小せざるを得なくなりましたが、小規模であるからこそできることもあると考え、個性に磨きをかけ、灘五郷の一隅を照らす、個性豊かな酒造メーカーでありたいと考えています。
古来中国では「松竹梅」は、歳寒三友と云われ、吉祥の象徴であると共に得がたい友情を意味します。弊社創業者が多くの友情に支えられて起業できたので、この二つの意味をかねて蔵名(社名)としました。銘柄「灘一」は勿論、灘で一番を意味しています。